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 5 極東の島国が見た、彼の一欠片の心のこと

 あまり長く生きているものですから、もしもの事ばかり考えてしまいます。もしもあの時、ああしていたら、今という未来は変わっていたでしょうか、とね。もちろん今に不満があるわけではなく、過去の自分に問われたのなら胸を張って答えることが出来ますよ。ええ、もちろん、今の私は満ち足りて幸せです、とね。ほとんどの『国』がそうであると思います。たまに過去ばかり振り返って嘆くひとも、お酒が入ると特にいますが。
 でもそれは今が満ち足りているなによりの証拠ではないか、と私は思うのです。だってそうじゃありませんか。現在が過去と比べてなにか一つでも欠けていたのだとしたら、きっと私たちはそれを求めて取り戻すので必死で、過去の栄光や喜び、嘆きを振り返ることはしないのです。昔はよかった。昔がよかった、なんて言うのは不平や不満を言うだけの心の余裕があるからですよ。余裕がなければ、嘆くのは現在です。
 まあ、それもひとに寄るのでしょうが。私ですか? 私にとっての昔というのは過去で、想い出で、確かに大切ではありますが、それはそのまま現在に繋がって行く糧となるものです。木の根を思い返す過去とするなら、現在は太陽を浴びる枝葉、でしょうか。戻りたいとは思いません。先へ先へと心がはやり過ぎて、時折、振り向くことも忘れてしまうけれど。地に根を張って生きる以上は、いつか、どうしても思い出すもの。
 意識せず、意識すればしっかりとした安心感を持ってそこにあるもの。己の一部。まあ、そんなところですね。後悔することはたくさんありました。今でもあります。悔い続けていることは数え切れるものではなく、だからこそ、私は先を向くのです。失礼、私事ばかりを語り過ぎました。どうも年寄りはいけませんね。いらない所にばかり口が堅いというのに、一度語りだすと止まらない。お恥ずかしいばかりです。失礼を。
 さて、そう。フランシスさんのこと、ですよね。私がお話できるのは本当にささいなことだけです。それでもよろしければ、お話致しましょう。彼のこと。フランシスさんと私は、そうですね。仲良しだと思いますが、でもそれは私に限ったことではありません。『国』と『国』とのお付き合いであったり、国交、政治というものをかんがみることなく『個人』としてのそれを思うのなら、フランシスさんほど交流の広い方を私は知りません。
 同時に、あれほど、ひととのお付き合いが上手な方も知りません。私たち『国』と接する時も、国民の方々と接する時も同じです。フランシスさんは本当に上手に、驚くくらい、自分の決めた距離でしか交流なさらない。距離を最初から決めてあるんでしょうね。『国』とお付き合いするのは、ここまで。国民とお付き合いするのは、ここまで。そんな風に。お付き合いと言っても、恋情の絡んだものというよりは、含む所のないそれ。
 他者と接する、という意味での『お付き合い』です。フランシスさんの為に一応、弁明しておきますね。ふふ。愛の国を名乗られるくらいですから、それは艶めいたお話のひとつやふたつ、お聞きもしますし見たこともありますが、そのたび私は大丈夫でしょうか、とひたすら心配になるのです。心配、というのも差し出がましい感情ではありますが、きゅぅっと胸が痛くなります。ハラハラするのです。見ていられない感じ、です。
 フランシスさんは愛の国です。まさしく、まぎれもなく愛の国なのです。ですから、その……艶めいたお付き合いの前提としてあるような、恋がそこにはないのです。なににせよ『愛情』という形は存在しているでしょう。けれど、恋ではない。ご本人もそれを知ってらっしゃるのだから、と私は思うのですが、事情もあるのでしょうね。本当に時々、そういうお話を耳にすることがあって、そういう時はやはり、長くは続きません。
 さっぱりした顔で『彼女には新しい恋人が出来たからね。俺はお役目ごめん』だなんて笑っておられます。そうするとまずまっさきにアーサーさんが鉄拳制裁、その次にアルフレッドさんが足払いをかけて踏み、最後にマシューさんが頬を思いっきり引っ張って伸ばすのが、ここ最近のお決まりのコースでしょうか。実に仲が良くて非常に心が温まります。……だって、そうでしょう。三人とも、心配でならなかったのですよ。
 大体そういうことになると分かっていて、さっぱりした顔で笑いながらそんなことを言う。そこまで正確に把握していながら、あんまりさっぱりした顔で笑うものだからイラっと来るのでしょうね。え、止めませんよ。気持ちは分かりますから。仕方がないですよねぇ、年寄りに心配はかけるものではありませんよ。全くもう。……あれ、どこまでお話しましたっけ。ああ、そう。そう、そう、そうでした。お付き合いのお話でした。
 フランシスさんは、誰とでも仲良くお話されます。特にこれと言って仲が悪くてどうしようもない、という相手を持たない方です。強大な味方を持たない代わり、天敵を決して作らない方でもあります。なんとなく全員がフランシスさんの味方で、そして状況によっては苦渋のうちに裏切る可能性も持っている。それは『国』としてどうしようもないことでありながら、フランシスさんは個人の面においても似た感覚を受けるのです。
 誰かを深く、心に入れない方なのです。それはきっと、決して踏みこまれない聖域を、心の中に持ってらっしゃる為だと思います。フランシスさんの心の中心にはもうすでに誰かが住んでいて、彼は恐らく無意識に、そのたったひとり以外を寄せつけたくはないのだと。踏みこませたくないのだと、思います。アントーニョさんやお師匠さま……ああ、失礼、ギルベルトさん、です。そのお二人と、あと別格でアーサーさん。
 その三人だけすこしだけ、ほんのすこしだけお付き合いの深さが違う気もしますが、それでも私との間に見えない壁があるように、透明な薄布一枚が取り払われることはないんだろうな、と思うのです。難しいのはね、それをフランシスさんご本人が決して自覚していないところです。意識的になんとなく、深々としたお付き合いをしないようにしているようではありますが、それはあくまで表層意識。内側ではないのです。
 大切すぎるのでしょうね、きっと。自分でも触れるのを困惑してしまうくらい大切すぎて、だからこそ意識できず、目を向けることもできない。しないのもあるでしょうが、しないというより、本当は出来ないのでしょう。可愛らしい方だ。心に聖域を持ち、結晶を住まわせるというのはそうできることではありません。人であっても、『国』であってもそれはおなじこと。『国』の方が時間が無限に近い分、難しい点もあるでしょうが。
 難しい、とかそういうことではなく。本当は、そういうことではなく。それはできるか、できないか、でしか分かれません。フランシスさんは、たまたま出来るひとでした。そして彼の時間は無限に近く、尊く凍りついて今に至るのでしょう。……仕方がないひとですよねぇ、本当に。だから私としましてはそろそろ、誰かが目を覚まさせて良い頃だとも思っているのですよ。フランシスさんの心を、内側から解き放てる誰かが。
 え? あ、はい。もちろん。殴っても良いと思いますよ。

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