しまった眠い。倒れこみそうになる体をなんとか起こして聖堂の外に出た所で、ギルベルトは大きくあくびをした。口元に手を添えて息を吸い込むと、シャラシャラと鈴の音が踊る。ロヴィーノに見立ててもらった洋服の上からローブを羽織り、ギルベルトはゆっくりとした足取りで『外』へ向かう道を戻り始めた。動いた後だからかローブのおかげなのか、行く道程の寒さは感じられない。ただ猛烈に、ものすごく眠かった。
服の袖をぐいぐい引っ張られるような感覚で、意識が眠りに誘われている。普通の状態ではないのは、先刻まで行っていた舞いの影響に他ならなかった。未だに瞳の色は青のままで、ギルベルトは目を擦りつつむぅっと唇を尖らせる。思ったより、心身が疲弊してしまっていた。神に挑戦状を叩きつけて兄の存在を誘拐して来たのだから、昏睡に陥らないだけ幸いだと思わなければいけないのかもしれないが。眠い。
寝る時以外での眠気が好きな存在も稀だろう。若干不機嫌になりながらもふらふら歩いて、ギルベルトは無人の道の果てに辿りつく。そこに、特になにかあるようにも見えなかった。視認できる限りではそのまま石畳の道が続いているのだが、手を伸ばすと確かに、透明な薄布のように揺れる『区切り』が存在している。これを通って、ギルベルトとロヴィーノはこちら側、『遺産』として残された不思議な場所に来た。
戻るなら当然、もう一度通らなければいけない。来る時と違って戻る時は特に手順が必要ない、というロヴィーノの言葉を疑う理由もないので、ギルベルトはぱたっとまぶたを閉じて『区切り』を通り過ぎた。体を、得体のしれない何かが触れて過ぎ去って行く異様な感覚。思わず歯を強く噛み締めて体を抱きしめれば、吸い込んだ息は温かだった。はっとして目を開けると、そこはすでにイタリア国内の大通りの一角で。
人の温度とざわめきが、世界に戻ってくる。乳白色と灰色で構成された静かな世界から一転、溢れる色の洪水に目がすこし驚いてしまった。きゅぅ、と目を細めて何度か瞬きをして、ギルベルトはようやく体から力を抜く。シャラリと清らかな音を立てて鈴が鳴った。現代において、ローブをまとう存在はすこぶる珍しく人の目を引く。分かっていても脱ぐ気になれないのは、目の色をエリザベータ以外に見せたくないからだ。
色が『戻る』感覚は、自分の体のことだから分かる。まだもうすこし時間がかかりそうで、ギルベルトは眉を寄せて視線を彷徨わせた。とりあえず、ロヴィーノに指定されたカフェに行かなくては。出た正面、と言うだけあってカフェはすぐに見つかった。オープンテラスもあるので、待ち合わせには確かに便利だろう。よしじゃあコーヒーでも飲もう、と足を踏み出しかけたギルベルトは、乱暴に腕を引かれて立ち止まる。
振り向けば、人相の悪い数人の男が立っていた。一人がギルベルトの腕を掴み、数人が取り囲むように立ち位置を変える。包囲されたことよりなにより、ギルベルトは腕を掴まれるまで不穏に気が付かなかった己を恥じた。いくら疲れ切っていたとは言え、失態にも程がある。己に向けた苛立ちを舌打ちで表現すれば、腕を掴んだ男はにやにやと笑って手に力を込めて来た。逃げられないことを分からせるつもりだろう。
ギルベルトを囲んだ者たちは五人。マフィアではないな、とギルベルトは瞬時に見抜く。良いトコマフィアの下っ端の下っ端の下っ端の使い走りか、不良ぶった青年といった所だろう。背丈で分かるだろうが俺は男だ腕を離せ、とため息交じりにイタリア語で告げてやると、腕を掴んだ男はひゅぅと口笛を吹いた。珍しい花があれば無造作に積む、まるでこどもの仕草だった。珍しい姿だから、手を出したに過ぎないのだ。
男でも女でも、どうでもいいのだろう。痛い目見せないと離れないかな、とどこかぼんやり考えてしまうのは、まとわりつく眠気のせいだった。眠すぎて危機感が全くわいてこないから、叩きつぶして反省させる手段も取りにくい。地元民や観光客は、フードを目深にかぶったギルベルトと取り囲む者たちを心配そうに見るものの、遠巻きで助けは求められそうにもない。めんどくさすぎて溜息をつくと、強く腕が引かれる。
倒れずに踏みとどまった動きについていけず、フードが肩に落ちた。ぱさ、と軽い音と共に鈴の音が鳴って、ギルベルトはぎくりと身を強張らせる。『マリア』の瞳は、通常エリザベータ以外には見せない。それはささやかな独占欲であると同時に、危ないからだ。透き通り、天高く晴れ渡る青の瞳は人心を惹きつける。無条件、無制限の魅了に近いそれは、味方には絶対の守護を誓わせる代わり、敵の心を惑わす。
それで寝返れば敵が減るからである。かつての『マリア』は戦う術を持つまで、そうして己の身を守ってきた。それを、積極的に望んだことなどなかったのだけれど。『マリア』時代はさすがに危なすぎて制御していたそれを、一度失った『名』だからこそ、現代のギルベルトにはどうすることもできない。慌てて目を閉じても、遅かった。ただ興味本位だった者たちの表情が、その存在を得たいと欲する者に変貌する。
相手が『国』なら関係ないのにっ、と内心で叫びつつ、ギルベルトは息を吸い込んだ。それは、ほぼ不可能だと知っている。それでも、呼べば来るのだと知っている。その信頼に必ず応える相手だと、知っているからこそ。男の手が伸びる一瞬前、それを払い落す響きでギルベルトは虚空に呼びかけた。
「マジャル」
がつ、と。硬いものが堅いものにぶつかる音が響く。直後に肩を引き寄せられ、ギルベルトは視線をあげて顔を見た。全力で走り込んで来た勢いそのままに、男の腕を蹴り飛ばして地面に倒したエリザベータは、肩で息をしながらギルベルトの目を覗きこんだ。猛禽に似た輝きを放つエリザベータの瞳が、『マリア』の色を認める。すぅ、と草色の瞳が細まった。落ち着け、と止めたギルベルトに、微笑みが向けられる。
そんなの俺の辞書に載ってない、という表情だった。ざーっと血の気を引かせた『マリア』を一応は背に庇い、『マジャル』は絶句する男たちに向かって言い放つ。
「よしお前ら。記憶を失えっ!」
「落ち着け! 落ち着けエリザベータ! じゃない、『マジャル』! な、なにもされてないからっ!」
「俺の『マリア』を呼びとめて同じ空気を吸ったっ! 俺法廷で記憶の消去が即座に可決された! 離せっ!」
エプロンドレスに似たワンピースを着た女性を、白ローブ姿の男が背中から抱きついて止める姿は、先程よりもずっと人目を引くものだった。視線を反らしてそそくさと去って行く周囲を、ギルベルトは若干泣きそうな気持ちで認識する。なにが泣きそうって、同じ空気を吸っただけでその処置を決めたことに対して、なんだか嬉しいと思う自分がどうしようもないからだ。俺様駄目すぎるぜーっ、と思いながら腕に力を込める。
「マジャル! 良いコにしてたらキスしてやるっ!」
「え」
ばたばた暴れていた体が、ぴたりと大人しくなる。エリザベータにも『マジャル』にも有効な手のようでなによりだ、と思いつつ、ギルベルトは己の唇に人差し指を押し当てた。どうする、と首を傾げて視線だけで問いかけてやれば、『マジャル』は難しい顔つきで黙り込み、ものの二秒で陥落した。元々、体調不良で『マリア』状態になるギルベルトと違って、エリザベータは片方に引きずられて『マジャル』の意識が出る。
それを解除して元に戻すには口付けするしか方法がないので、それで大人しくなるならもうけものである。衆人環視の中のキス、ということはなるべく考えないことにして、ギルベルトは即座に実行に移した。後頭部に手を添えて引き寄せ、やや深めに唇を重ねていく。言うことを聞いたご褒美と、それから呼んで来てくれたことへの感謝と。当然のように『マリア』の意識が求めた、『マジャル』への愛情の印だった。
かすかな水音を響かせながら唇を離すと、エリザベータは赤い顔をして口元に手を当てる。濡れた唇を指先でぬぐいながら、ギルベルトは照れ隠しにフードをかぶりなおし、戻ったようでなによりだ、と言った。
「……つーか呼んどいてなんだけど、なんでイタリアに居んのお前」
「え、だってロヴィちゃんが……ちょっとギル! そうよギル! あ、あんた、あんたなんて格好で出歩いて……っ! ちょっともう、ダメっ! そのローブ脱ぎなさいっ!」
がっとばかりローブを掴んできた手に、ギルベルトは反射的に抵抗していた。目がまだ青いままなので、それを隠せるローブを脱ぐのに抵抗があったからだ。いいじゃねぇか多少目立つ程度だっ、と叫ぶギルベルトに、エリザベータはごく真剣に問いかけた。
「なにギル。脱がされたいの? そういうことなの?」
「どこをどう解釈したらその結論に辿りつくか知りたくねぇけど聞きたくもねぇ……! ちょ、ばかっ! 手に力を込めるな剥こうとするなっ……なんでそんなに脱がせたいんだよっ!」
「決まってるじゃない。萌えるからよっ! ロヴィちゃんが見ただけでも本当は悔しいのに……!」
その一言で、なぜエリザベータがこの場所に居るのかをギルベルトは正確に理解した。そういえばロヴィーノは携帯で舞装束の写真を取っていたのだ。送り先など、分かりきっている。お前が記憶を失えよっ、と絶叫したギルベルトに、エリザベータは凛々しい態度で言いきった。
「断る!」
「それを断るっ! エリザ携帯電話出せ! データ消去してやるっ!」
「甘いわ、ギル。携帯のデータを消そうが壊そうが、すでに画像はパソコンに送信済みよ」
ふふ、と勝ち誇った笑みを浮かべるエリザベータに、ギルベルトは絶望を知った。なにこれ俺様苛め祭り開催中じゃねぇの、としゃがみ込むギルベルトを、エリザベータはさっと取りだしたデジカメで撮影している。脱がないなら、記録を増やすことにしたらしい。今すぐ大雨降ってあのデジカメ壊れねぇかな、と現実逃避ぎみに考えるギルベルトの視界の端、不穏な影が動く。そういえば、男たちはまだそこに居たのだ。
逃げていない分、報復感情が怖い。エリザ、とギルベルトが呼びかけようとするよりはやく、辺りに銃声が鳴り響いた。慈悲も容赦もなく、男の一人の服が焦げる。わざと外したのだろう。靴音を高く響かせて歩み寄ってきたロヴィーノは、冷たい笑みを張りつけたままで言う。
「悪いな、手が滑って外しちまった。エリザさん、怪我は? ギルも。……安心していい、次は当てる」
残弾数を確認して標準を合わせる動きは滑らかで美しく、手慣れたものだった。男たちから恐怖で表情が消えたのを確認して、ロヴィーノはにこ、と友好的に笑った。
「失せろよ。邪魔だ」
一秒の間もなく、男たちは走り出す。あっと言う間に人ごみに消えて居なくなったのを確認して、ロヴィーノは深々と息を吐き出した。銃をスーツにしまい、ギルベルトに手を差し出して立ち上がらせる。
「悪かったな、ギル。この辺、時々治安悪いの忘れてたぞちくしょー」
怪我がなかったようでなにより、と微笑んで、ロヴィーノはごく自然な一動作としてギルベルトの頬に口付けた。ロヴィーノにしてはかなり珍しい友好的な挨拶に、ギルベルトはくすぐったく笑う。気にしてない、と告げてやればエメラルドの瞳が安堵に滲んだ。待ち合せの場所にギルベルトの姿がなかったことで、心配してくれたのだろう。自国民に絡まれている姿に、罪悪も感じたに違いない。ふ、と息が吐かれる。
その上で困惑気味に向けられた視線を追って、ギルベルトは口を開いた。
「……エリザ。はぁはぁしながら連写すんの止めにしねぇ?」
「しないわよ! ギルの浮気者っ……でも悔しい写真取っちゃう!」
「アントーニョも時々発作起こすしな……」
それと似たようなもんだろ、とある意味男らしく受け入れてやったロヴィーノに、ギルベルトはこくりと頷いた。そういえばロヴィーノも、事あるごとに『楽園やんなぁ! 楽園やんなぁ!』と大騒ぎされているのだ。慣れているのだろう。五分もすればわりと落ち着く、と互いの経験則で頷きあう。視線を交わし合ってジェラート屋に歩き出せば、二人の後をエリザベータが追った。立ち止まらず、ギルベルトは振り返る。
向けた視線の先、聖堂へ続いていた道は見えなかった。
雲一つない快晴が広がっていた。おでかけ日和だなぁ、と思いながらフェリシアーノは恨めしげな視線をロヴィーノに向ける。一人でさっさと出かけ支度を済ませてしまった兄は、今日もフェリシアーノを留守番役に遊びに行く予定らしかった。今日は誰と行くのさー、とふてくされながら問いかけると、ロヴィーノは携帯電話にちらりと視線を落とし、多分ギル、とあいまいな答えを響かせる。もぉ、と不満が口を飛び出した。
「ずるいよ、兄ちゃんばっかりー。俺だって遊びに行きたいよー」
「今日はダメだって言ってんだろ? 明日以降ならいくらでも連れてってやるから、今日は我慢しろ」
珍しくもびし、とした口調で言い放ったロヴィーノは、鏡の前でネクタイを締め直した。遊んで歩くセミフォーマルな格好なので、美術館にでも行くのかも知れない。明るくも淡いエメラルドブルーのスーツは、ロヴィーノによく似合っていた。兄ちゃん今日も格好良い、でもずるい、と唇を尖らせるフェリシアーノに歩み寄り、ロヴィーノはくしゃくしゃと髪を撫でまわす。やめてよー、と言いながらフェリシアーノはなすがままだ。
そんな弟を、珍しくも純粋に可愛がる表情で目を細めたロヴィーノは、すっと身を屈めて額に口付けを落とす。きょとん、として目を瞬かせるフェリシアーノに意味ありげに笑って、ロヴィーノはじゃあ行ってくる、と玄関に向かって身をひるがえした。なんなのさー、と声だけで追いかけるフェリシアーノに、ロヴィーノは後ろ手に手を振って出て行ってしまう。ぷぅ、と頬を膨らませ、フェリシアーノはソファの上に寝転がる。
ギルベルトが置き去りにしていったひよこさんクッションを力いっぱい抱きしめるも、胸のもやもやが晴れない。はふ、と溜息をついて、フェリシアーノは起き上がった。確か卵がたくさんあった筈だ。砂糖もバターもあるので、お菓子でも作って気を紛らわそう。楽しい予感に胸を弾ませてキッチンへ向かいかけると、鳴り響くチャイムが足を止まらせる。忘れ物かな、と疑問にも思わず、フェリシアーノは玄関に向かった。
兄が戻ってくるのにわざわざチャイムを鳴らす筈がないと、思いつきもしなかった。どうしたのわすれものー、と問いかけながら、相手も確かめずに扉を開く。足元に伏せていた顔をあげて、フェリシアーノは大きく息を吸い込んだ。立っていたのはロヴィーノではなかった。年の頃は十七、十八くらいだろうか。多く見積もっても二十には見えず、背もフェリシアーノよりはすこし低い青年だった。それでも記憶より、背が高い。
青年は今は見ないような古めかしい、黒の衣装を身にまとっていた。足にはよくなめした色の皮ブーツをはいていて、黒いズボンに隠されていてもすらりとした脚が分かる。先に足を確認してしまったのは、菊に聞かされた日本の怪談のせいだった。震える視線をあげていくと、風に揺れる上着の裾に、なんだか泣きそうになった。白いふわふわのスカーフは、きっちりと閉じられたマントの合わせから外に出されている。
淡雪に似た真白の肌は、うっすらと紅に染まっていた。伏し目がちの瞳は、アイスブルー。短く切られた髪の色は似溶けた金がかった銀髪で、柔らかく流されるままになって古風な帽子が乗せられていた。震えながら両手を持ち上げていく。恐ろしくて途中で止まってしまった手を青年が取って、怯える瞳にかまわず頬に押し当てて触れさせた。指先から広がるのは、生身の肌の感触だった。温かい。生きている。
生きている。目の前にいる。夢じゃない。
「……あ」
喉がひきつって声がでなかった。千も万も、言葉が渦巻いているのに一つも言葉にならない。言いたいことも話したいことも、たくさんあったのに。たくさんあるのに。ころりと涙がこぼれおちていく。それを指先ですくい取って口付け、青年は困ったように微笑んだ。
「ただいま」
「神……聖、ローマ」
「やっぱり何百年経っても、お前が世界で一番大好きだ」
見送るしかできなかったあの日に、想いが戻って行く。耐えきれなくなってかたく抱き寄せれば、神聖ローマはすこしばかり慌てた声をあげ、それから恐る恐るフェリシアーノの背に腕を回して撫でてくれた。声をあげて泣き出しても、抱擁は解かれずに。もう二度と別たれはしないのだというように、腕の中に閉じ込めた。
新しい『国』で『EU』だ、以後よろしく、と。しれっとした顔つきで頭を下げた存在に、全国家が集合した会議場が恐ろしいほど静まり返った。世界の約半数が事態を理解できていないが故の沈黙だが、ヨーロッパ勢のそれはただ絶句だった。特に『神聖ローマ』を知る者たちは、愕然とした表情を『自称EU』に向け、それからによによ笑っているプロイセンと視線を反らしてひたすら口をつぐんでいるドイツに目を向ける。
イタリア・ヴェネチアーノに目が向かないのは、幸せいっぱいの満面の笑みを浮かべている為に、逆に説明を求めにくいからだった。なにせラテン系、恋の国である。説明を求めて返ってくるのは、数百年分のノロケであることは想像に難くない。議場が絶大なる静寂に包まれている間に、『自称EU』はマイクの前から移動してドイツとイタリアの間にあった空席に腰を落とし、ヴェネチアーノと手を繋いで笑っている。
青くちいさい花に似た、控えめな幸福の笑みだった。思わず和みかけながら、真っ先に我を取り戻したフランスが声をあげる。EUを支える一国として、ドイツと深い協力関係にある国としても、どうしても見過ごせない。反射的にプロイセンを呼んだのは、頭がまだ混乱していて、舌が馴染んだ名で動いたからだ。によによ笑いながら、プロイセンがなんだよ、と口を開く。なんだよじゃないでしょ、とフランスは絶叫した。
「それどう見ても神聖ローマだよねっ? どう考えても育った神聖ローマでしょっ!」
「兄上に対してそれとか言うんじゃねぇよっ! つか聞いてなかったのか? 『EU』って名乗っただろ」
「ぷーちゃんが兄上って呼んだ時点で誰がどう言おうと神聖ローマでしょうがっ!」
お兄さんは誤魔化されませんからねっ、と叫ぶフランスに、プロイセンは思い切り舌打ちした。ドイツを間に挟んだ隣で、『EU』はそ知らぬ顔でイタリア・ヴェネチアーノに微笑みかけている。話がまとまったら声をかけてくれ、と告げられてドイツはこくりと頷いた。
「あー、フランス。なんだ。本人がそう言っているのだから、信じるのはどうだろうか」
「ヤだなにこのゲルマン三兄弟! 妙な結託を見せつけるんじゃないわよ!」
「気持ち悪い口調で叫ぶなっ! 納得しろよっ。俺だって昔プロイセンで今は東ドイツでオストなんだから、ちょっとくらい兄上が神聖ローマからEUになったって問題ねぇだろっ!」
さしあたって問題らしい問題が見つからないことが、最大の問題だった。なんてことをやらかしたんだ、と頭を抱えて呻くイギリスだけが、ギルベルトが行ったある種の禁忌を理解しているらしい。反則すれすれの禁じ手じゃねぇか、とイギリスに睨みつけられ、ギルベルトは余裕の笑みで首を傾げる。俺の存在を認めておいてなにを今更、と言いたげな仕草に、ヨーロッパ各国からは諦めの溜息がもれだした。
国が『国』として成立する条件は三つ。国土があること、人が住むこと、統治能力がそこにあること。しかし修道会からスタートした『プロイセン』のような特例も存在し、そもそもかつての『神聖ローマ』には明確な国土、あるいは首都が存在していなかった。それを考えれば神聖ローマが『EU』の枠に収まるのも、とりたておかしい事でもないのかも知れない。恐ろしくあり得ない、かつ奇跡に近いことではあるのだが。
イタリアのくるんが、ハートマークでふよふよ動いている。それを見たらもうどうでもいい気持ちになって、フランスは議場の机に突っ伏した。後で詳しく説明だけはしろよ、と呻くとプロイセンはひらひらと手を振って了解を示す。ややあって、気を取り直したアメリカの会議開始宣言が響き渡った。ヴェ、と嬉しげに鳴いてイタリアは繋いだ手に力を込める。その手を口元に引き寄せ、神聖ローマはそっと唇を押し当てた。