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 永遠に隠すことができないのなら、告げるのはカナダの役目でありたかった。いびつな鏡合わせ。双子のようによく似た兄弟。片割れとして育った存在として。その役目を、他の誰にも譲りたくなかった。返して、と吐息に乗せるように切なく、カナダは言った。
「イギリスの中に、『アメリカ』を返してあげて」
「……え」
「余計な世話だな、カナ」
 アメリカが、その意味を問うよりも早く。銃の撃鉄を起こした音が、闇の中に響く。冷たく奏でられたあまりに聞きなれた声に、カナダはアメリカの背後を見て目を見開き、アメリカは体を振り返らせて絶句した。あまりに冷たく、凍りついた瞳のイギリスが、そこに立っていた。夜風にばたばたとたなびくコートはどこかしっとりと濡れていて、それでいて動きの邪魔にはならないようだった。コートの下には、濃い藍色の軍服を着ている。
 銃を握り締める手のひらは白手袋に覆われていたが、精巧な動作を狂わせすらしないだろう。アメリカは立ちつくし、カナダはそっと目を伏せる。いつから居たのか、二人とも分からなかった。イギリス、と名を呟くカナダに、宗主国その人は勝気な微笑みを向ける。そして手袋をはめた手で己の唇に指を押し当て、おしゃべりはたいがいにしなさい、とカナダを甘く叱りつけた。
「俺のアメリカは死んだ。今存在しているのは、可愛げもない合衆国殿だ。……カナダから離れてもらおうか」
「イギリスっ!」
 一音もぶれずに重なった響きを、しかしイギリスは正確に聞き分けたようだった。お前が呼ぶな、と憎々しげな瞳をアメリカに向けた後、カナダにはごく普通の視線で問いかけてくる。怪我はないか、と心配する瞳に、カナダはこくっと頷いた。
「ないよ。でもイギリス、どうしてここに」
「カナダに派遣する海軍についてきた。……全く。昔から、お前はなにするか分からないな。困ったコだ」
「お、怒ってる? イギリス」
 恐る恐る問いかけたカナダに、イギリスはもちろんだとも、と笑みに緩む瞳で支配国を見つめた。
「悪いコだ。……まあ、オシオキは後にして、今はこっちだな」
 意識を切り替えたのだろう。銃を構えなおしたイギリスは、一分の狂いも出さないような精密さで、アメリカの頭を狙って拳銃を突きつける。アメリカはそれを真正面から見詰めたまま、動けないでいた。ぐるぐると、意識が混乱する。悲しくて、苦しくて、驚きで、一歩も動けない。憎まれているのは、知っていた。あんなに手酷く裏切った『敵』を、大英国であったひとが許す筈もないのだから。それでも、幼い記憶が邪魔をする。
 ふたりは愛されていた。平等ではなかったかも知れないが、イギリスから愛を注がれていた。アメリカは確かに、イギリスに愛されていたのだ。それなのに、その過去を信じられなくなるくらい、向けられるイギリスの目は冷たい。敵対者に向ける眼差しである以上に、カナダに向けていた視線との温度差に、アメリカは息を吸い込んだ。それでも、足が動かない。苛立ったように、イギリスの目が猫のように細くなった。
「聞こえてなかったのか? カナダから、離れろ」
「……いぎ、りす」
「こんな所でなにをしているか、聞きたい所だが不問にしてやろう。カナがお前と話をしたいと言ってるのを聞いていたから、まあ、それがらみだろう? 見逃してやるよ。……引け、アメリカ。カナダから離れて、国に帰れ。こんなことをしている暇はない筈だ」
 なにせ俺が直々に率いてきた海軍だからな、と喉を震わせてあえかに笑うイギリスに、アメリカの顔から血の気が引いた。イギリスが直々に連れて来た海軍がアメリカに向かったのであれば、それだけで戦局がひっくりかえる可能性が高い。一度は退けて独立を勝ち取ったとはいえ、イギリス海軍の強さと恐ろしさを、アメリカはまさしく身を持って知っているのである。一歩、ようやくアメリカの足が動き、カナダから遠ざかる。
 二歩、三歩。じりじりとイギリスから距離を取り、アメリカはカナダから離れていく。その様子を、カナダは息をつめて見守っていた。イギリスが銃を持っているのは、単なる脅しだ。イギリスは決してアメリカを撃たない。どうしても、アメリカを撃てない。たとえ威嚇あっても、なんであってもだ。分かっているのに、怖くてどうしても目が離せなかった。やがて十分な距離を取ったアメリカは振り返り、カナダと目を合わせてにこりと笑う。
 親しげな笑みは見慣れたもので、思わず体から力を抜いたカナダに、アメリカは諦めないよ、と言い放つ。それにイギリスとカナダがなにかを言う前に、アメリカは身を翻して闇の中へと走って行った。さよならは言わなかった。当たり前のように、再会は果たされるからだった。約束めいた言葉は、要らない。あっと言う間に足音は遠ざかり、後には夜の静寂が戻ってくる。ふぅ、と安堵の息をついて、イギリスは銃をしまった。
 イギリスはそのまま道を横切り、カナダの立つ窓辺にやってきた。かすかな音すら立てず、イギリスの靴底が大地を蹴る。ふわりと覆うように窓枠におかれたてのひらがイギリスの体を持ち上げ、一瞬後、その体は室内に運ばれる。トン、と着地の音だけを軽やかに響かせ、イギリスは窓をぱたりと締めてしまった。手早く鍵をかけてカーテンをしめた所で、ようやくイギリスはカナダに向き直る。カナダは、俯いたままだった。
 たとえ望んでいたこととはいえ、アメリカは戦争中の相手である。二人きりで話をして良かったとは、思っていない。怒られることを覚悟してぎゅぅと体を縮こませていると、もす、と音がして腕が温かく、重くなる。顔をあげてみると、イギリスがカナダにもたれるように頭を預けていた。イギリス、と呼びかけると体がかすかに震える。闇の中でよく目を凝らすと、イギリスは顔を赤くしているようだった。耳まで、真っ赤に染まっている。
 これは、まさか。言葉にしにくい気持ちを抱きながら、カナダは視線をさ迷わせて問いかけた。
「い、イギリス……いつから、聞いてたの?」
「……独立戦争、あたり、から。べ、別に聞こうとしていたわけじゃなくてっ、聞こえちゃっただけなんだからなっ!」
「なんですぐ止めてくれなかったんだよーっ!」
 恥ずかしいじゃないかーっ、と涙目で騒ぐカナダはとっさにこの場を走り去りたくなった。絶対に本人に聞かれないからこそできた、盛大な告白めいた言葉ばかりだったというのに。もちろん、なにひとつとして偽りのない本当の言葉だ。真剣な誓いだ。だからこそ恥ずかしいものもあって、カナダも顔を赤くして黙りこんでしまう。うろうろと視線を彷徨わせるカナダに、イギリスはくすりと笑いながら悪い、と言った。
「ちょっと、お前のこと疑った」
 ぱちん、とまばたきをして。カナダの瞳が、イギリスを見る。闇の中でなお穏やかな、ペールトーンのフローラルグローン。森の温かな芳香すら感じさせるような色に、イギリスは嬉しく視線を重ね合わせた。
「俺の傍に居るって言っただろう? それを……疑った」
「……うん」
「ごめんな」
 疑うことなんか、なにひとつなかった。誇りに満ちた囁きに、カナダは喜びで胸をいっぱいにする。信じてくれたことが、嬉しかった。カナダの言葉を、受け入れてくれたことが嬉しかった。疑うことを欠片もせず、そのまま、イギリスはカナダの言葉を信じてくれている。イギリスはそっと腕を持ち上げ、カナダの頭を胸に抱きこむように導いた。素直に頭を預け、カナダはそっと目を閉じる。あやすように撫でる手が、心地良い。
 頬を擦りつけるようにしてその腕に甘え、カナダはやんわりと笑いながら口を開く。
「好きって」
「うん?」
「言ったのも、聞いてましたか?」
 ぴく、と髪を撫でるイギリスの指先が震える。独立戦争から、と言ったのはイギリスの方だった。ならばその直後の恋の告白も、きっと届いてしまっていたに違いない。答えが返って来ても、返ってこなくても、どちらでもよかった。抱きとめる腕はカナダを離そうとせず、温かく守ろうとしている。だから、本当にどちらでもよかったのだ。苦にならない沈黙はイギリスの声で破られる。
「嬉しかった」
 否定、でもなく。肯定、でもなく。イギリスはその言葉でもって、カナダの恋を受け入れた。はっとして顔をあげると、すぐ間近で視線が出会う。重ねられた瞳は恋を宿しておらず、それでもカナダを、愛おしく思っていた。恋を返されなくても、確かに愛されている。そのことが嬉しくて、カナダは思わず、イギリスを呼ぶ。
「イギリス」
「ありがとう、カナ」
 恥ずかしさにかほんのり赤らんだ顔で微笑まれて、カナダはイギリスを抱きしめた。今はそれで十分だった。イギリスは今も、カナダの育て親だ。カナダの保護者であり、絶対君主だ。彼からすぐに恋心を返されたとて、逆にカナダは戸惑うだろう。想いを通じ合わせることを、夢想しないわけではない。それでもふたりは長く家族であり、そうして慈しみ、愛し合っていた。家族愛と、恋愛は違う。全く別もので、全く違うものだ。
 それなのにイギリスは、カナダの恋を受け入れてくれた。それが養い子可愛さのあまりの献身でも、今はそれで構わなかった。拒絶されず、あるがままに、イギリスはカナダを慈しんでくれている。恋をしてよかった、とカナダは思う。このひとに、恋をしてよかったと、泣きだしそうな幸福感の中で思う。同時に、痛感した。どうして離れることができるだろうか、と。どうしてこの温かさを振り払い、独立することができるのだろうか。
 それはあまりに遠い出来事で、カナダにはよく分からなかった。ふと我に返ったイギリスから、体痛くないか、とイ問われて、カナダは大丈夫、と笑う。すこしの痛みも悲しみも、なにもかも溶けて行くようだった。それからまもなく、戦争は終った。



 甘い、甘い、メイプルの匂いが空気に溶ける。常温ではかすかに香るだけのそれは、メイプルティーになると、いっそ暴力的な程に甘さを振りまいた。甘いものが苦手な者なら、それだけで顔をしかめて嫌がっただろう濃度だった。しかしカナダはティーポットを見つめてうっとりとするだけで、匂いの発生源を遠ざけようとはしなかった。もしも他のどんな甘さが駄目になったとしても、メイプルだけは例外になって残るのだろう。
 見る者にそう思わせる幸せ顔で、カナダは無意識に口元を綻ばせる。嬉しくて嬉しくてふふ、と笑うと、カナダのちょうど正面に座っていたイギリスが柔らかく目を細めた。ゆる、と気配が和む。それだけで、相手が愛おしいと伝える仕草だった。気配の推移を感じて顔をあげたカナダは、微笑むイギリスの顔を正面から見てしまい、音が立つ程の勢いで顔を赤く染める。はくはくと動かされる口から、こぼれる言葉はひとつもない。
 恋しい相手にそんな風に見つめられていた事実が、カナダから言葉を奪ってしまったようだった。ふるふると体を震わせて恥ずかしがるカナダに、なんの気なしにそういう視線になってしまっていたからこそ、イギリスも照れてしまったらしい。お前なぁ、と響かない呟きを発した唇は、白手袋のはめられた手によって覆われ、視線が茶会のテーブルに落とされる。
「そんな風に……照れるんじゃない」
「は、はい。気をつけます」
「……俺がお前を愛してるのは、今に始まったことじゃないだろう?」
 ずっと昔からちゃんと愛していただろう、と首を傾げるイギリスに、カナダは恥ずかしさに視線を彷徨わせつつ、素直にこくんと頷いた。愛していることを隠そうともせず、相手に接することに長けたひとだ。フランスの手から引き渡された時も、まだカナダがアメリカにもイギリスにも慣れない時も、戸惑うことも多かっただろうに、年若い外見をしたこの『国』は、惜しみなく迷いなく、たくさんの愛情を届けくれた。今日に至るまでずっと。
 そしてこれからもそうであると、疑うこともなく信じられる強さで。イギリスは、カナダに愛をくれる。それは恋ではなく、けれど確かに愛なのだ。カナダは胸に生まれた僅かなさみしさを打ち消し、すぅと息を吸い込んで微笑みを浮かべた。気持ちを落ち着かせるのは、得意だった。なにより、今は目の前にイギリスが居る。英国の、太古の森の神秘をそのまま宿しているような翠の瞳。そこにそっと灯る、柔らかな愛情の輝き。
 それを前にして、カナダが気持ちを抑えられないことはないのだった。彼は『カナダ』の保護者であり育て親であり、母親であり兄であり、そして尊く恋をする相手なのだから。イギリス、と笑み滲む声でカナダは呼ぶ。イギリスはふわりと目を細め、なんだ、と歌うように声を響かせた。
「どうした?」
「ううん。……あなたのことが、好きだなぁって」
 そう思っただけなんです、とはにかみながら告げるカナダに、イギリスは嬉しそうに頷きを返した。そうか、と告げる声はあくまで己が育てた幼子の成長を喜ぶものだったが、それでいて、己に向けられる感情に温かな幸福を感じているようでもあった。カナダは嬉しく微笑みつつ、イギリスから、ポットの傍に置いておいた砂時計に目を移した。瞬間、最後の一粒が落ち、封じられた時が終わりを告げる。よし、とカナダは頷いた。
 ティーポットを持ち上げてゆるりと円を描くように動かし、カナダはイギリスの前にセットしておいたティーカップに、メイプルティーを注ぎ入れる。心地良い音と共にカップに紅茶が満ちていき、深く濃いメイプルの香りと踊るように、かすかに花の香りが漂った。自分のカップにも静かに注ぎ入れてからポットを置き、カナダはすとん、と椅子に腰かけなおす。落ち着けるように吸い込んだ息は、しかしどうしても収まらずに吐きだされた。
 視線が紅茶とイギリスの手元を何度も往復するのに苦笑して、白手袋がティーカップを持ち上げる。陶器のこすれる音すら響かない、うっとりするほど優雅な仕草だった。手袋に包まれていても分かるほっそりとした指先は、剣も、銃も持つのに慣れたものであるのに、なぜか荒れた印象を与えない。あくまで優雅に、動かされる手の動き。七つの海の覇者であるひとなのに、国民がそう誇るように、イギリスは全く紳士なのだった。
 もちろん、それだけではないことを、カナダはちゃんと知っているのだけれど。飲み過ぎてぐだぐだになろうと、追い詰められて天使になろうと、怒りに我を失って海賊の頃に意識が立ち戻ろうと。それでもイギリスという大元の存在はひとつだけで、それを深く、カナダは思っているのだった。好きだな、とぼんやり思う。思いながらイギリスが紅茶を一口、喉に通すさまをカナダは見つめる。紅茶を飲んでもらうことに、緊張を感じる。
 紅茶の淹れ方も、味も、楽しみ方も、好みも。全てを教わったひとだからだ。視線に、イギリスは咲きこぼれるような笑みを見せた。
「……カナ。そんなに見るんじゃない。飲みにくいだろう」
 大丈夫、心配しなくてもちゃんと美味しいよ、と笑うイギリスに、カナダはやっと全身から力を抜いた。よかったぁ、と椅子にもたれてまで安堵するのに、イギリスはすこし意地悪く喉を鳴らして笑う。やんわりと目を細めて伸ばされた手が、カナダの前髪を愛しく撫でて離れていった。可愛い、可愛い、と愛でる仕草にカナダは気恥ずかしさを感じながら姿勢をただし、自分のティーカップを手に取った。安心しながら、一口を喉に通す。
「ん……でも、やっぱりイギリスの淹れてくれた紅茶の方がおいしいです。今度は、イギリスが淹れてくださいね」
「今度は、な」
 静かに笑いながらカップを置いて、イギリスはフォークを手に取った。そしてメイプルのシフォンケーキを一口大に切り分け、口へと運ぶ。またも息をつめて見守るカナダに今度は優しく笑って、イギリスは美味しいよ、と告げた。カナダの表情がぱぁっと華やぐ。向かい合って座る二人の間に腰を下ろしていたフランスが、お兄さんもう嫌だ、とげっそりした声を響かせた。イギリスは隣国の感情に、全く興味がない視線を向けた。
 もぐもぐと美味しそうにシフォンケーキを頬張るイギリスの正面で、カナダがぱちぱちとまばたきをする。そしてすぐ、あっと声をあげたカナダに、フランスはほろ苦い笑みを向け、口をひら言った。
「ここにお兄さんが存在している意味が分からないよ……帰っていいか、カナダ」
「ご、ごめんなさい! フランスさん、ごめんなさいっ! 忘れてました!」
 言いながら慌ててフランスのカップにも紅茶を注いでくれるカナダと違い、もぐもぐと仕草だけは可愛らしくシフォンケーキを食べているイギリスの目は、明らかに隣国を邪魔がっていた。なんでテメェはまだそんなトコにいるんだよ帰れよ邪魔なんだよ空気穢れて酸素が減るしカナも減るだろうがコラ分かってんのか、て言う目だお兄さんには分かる、としくしく泣きまねをしながら紅茶を飲んで、フランスはお、と関心してカナダを見る。
「本当だ。上手に淹れられるようになったなぁ、カナ。その調子で味覚もイギリスに似ず成長しろよー?」
「どういう意味だフランス? ふわっ」
 やけに可愛い声をあげたイギリスからそれ以上の罵声が響かないのが気になって、フランスは外していた視線を隣国の元へと戻し、そして心底後悔した。見なければよかった。お茶のテーブルに片手をついて身を乗り出したカナダが、手にメープルクッキーを持って、それをイギリスの口に突っ込んでいたからだ。形だけ見れば、あーんである。おいおいなにやっちゃってんの、というフランスからの視線に、カナダはにこりと笑った。
「フランスさん、ケンカしないでくださいね? イギリス、クッキーおいしい?」
「……メイプルの味がする。甘い」
「よかった。イギリス、メイプル好きだって言ってくれてたよね。スプレッド作ったから、お土産に持って行って」
 そう言って、メイプル・シロップを煮詰めてできる貴重品を大きめの瓶で惜しげもなく送るカナダに、フランスは俺のは、と笑顔で聞いてみた。答えは、不思議そうな声で響く。ないよ。問いの意味すら分かっていないような、その差別加減が清々しかった。パパに厳しくなってきたなぁ、としみじみ呟くと、イギリスから嫌そうな目が向けられる。カナダにフランスの血が混じっていることが、気に食わなくて仕方がないらしかった。
 イギリス似の緑の瞳が出たのは多くの植民地の中でもカナダだけだったから、なおのこと髪や顔立ちがフランス似なのが気にかかるらしい。お前に似てたら独立されてるぜ、とにやにや笑いながら言ってやると、イギリスは目に見えて体を震わせる。感情を押し隠すイギリスにしては、珍しい程の過剰反応だった。唇に力を込め、イギリスはどんな言葉すら漏らしてしまわないように、そっと視線をティーカップに落としている。
 あの日の雨の冷たさを、思い出したのだろう。カップを両手で包み込むようにして黙り込んでしまったので、フランスが思っているよりずっと、そのことはイギリスに根深く影響しているらしかった。深く、カナダが息を吐く。
「フランス」
「……悪かった。もう言わない」
「もう、イギリスもフランスも戦争終ったって言うから、カナダに招待したのに。……それとも、フランスさんは、僕と戦いたいの?」
 軽く冗談交じりの響きだったにも関わらず、カナダの目は笑っていなかった。ひや、と底冷えのする輝きは、怒れるイギリスから受け継いだものなのだろう。氷の鋭さより、それはオーロラの揺らめきに似ていた。夜空に咲く天使の衣。ひとの意識を引きつける、美しさ故の恐ろしさ。それを宿し、カナダは柔らかに笑っていた。似たもの親子、と思いながら両手を挙げてもう一度悪かった、と告げれば、今度こそカナダは微笑んだ。
「よかった。僕も、フランスを殴るのはやりたくなかったんだ。あんまり」
「なあイギリス? 俺たちのカナダが反抗期だと思うのは俺の気のせいなのか?」
「安心しろよワイン。カナが好戦的になるのは、俺の敵、つまりお前にだけだ。あと俺たちのって言うな。俺のだ」
 育てた恩を忘れやがって、としょんぼりしたフランスの呟きは、カナダにもイギリスにも向けられたものだろう。カナダは申し訳なさそうな顔つきで微笑み、それが一応軽口であると分かっているからこそ、あえてなにも言わなかった。育ててもらった恩を、送られた愛情を、もちろん忘れている訳ではない。それをフランスもきちんと知っているからこそ、苦笑するだけで流してしまう。そんなことで、一々噛みつくものではないのだ。
 フランスは疲れた態度で紅茶を飲み干すと、ごちそうさまな、とカナダの頭を撫でて立ち上がる。ぽん、と叩くようにして離れる手の仕草は、まだカナダがフランスに育てられていた時の別れの仕草と全く同じもので。幼い頃から変わらないくすぐったさに、カナダは首をすくめてくすくすと笑った。その上でもう帰るのか、と問いかける視線に、フランスはウインクつきの笑顔を返した。
「お兄さんも、こう見えて忙しいのよ。また呼んでくれよな、カナダ。できればイギリスが居ない時に」
「死ね」
「おーおー。怖い怖い。お前のお母さんは過保護だなぁ、カナ」
 二人っきりで俺と会うのがよほど嫌らしいぜ、と笑いながらもう一度カナダの頭をぽんと撫で、フランスは悠然と去っていった。その背が見えなくなるまで見送ってから、カナダはふてくされ気味のイギリスに目を戻す。むす、と音が聞こえてきそうな態度で、イギリスは紅茶を飲んでいた。さて、フランスのどの発言で機嫌が悪くなってしまったのだろうと思いながら、カナダはメイプルクッキーをかじるイギリスを見つめ、問いかける。
「……『お母さん』?」
 がしゃ、と音を立ててイギリスの手からティーカップが落下した。幸い、陶器は欠けも砕けもしなかったが、中身が派手に飛び散ってしまっている。しかしイギリスは服についた水滴を払うでもなく、テーブルクロスにじわりと染み込んでいく液体を処理するでもなく、ぐっと息を飲んで押し黙っていた。イギリス、と怪我を心配するだけの声で呼びかければ、翠の視線が射抜いて来る。カナダは、溜息をついて椅子から立ち上がった。
 そんな泣きそうな顔で睨まれても、ちっとも怖くないよ。テーブルクロスが潔く諦めることにして放置し、カナダはテーブルを回り込み、イギリスの前にしゃがみこむ。イギリスはむっとした表情で唇を硬く閉ざし、視線をそらしてカナダを見ようとしなかった。ただ握りしめられた手が、すこし震えている。はぁ、とため息をついて、カナダは手を伸ばしてイギリスに触れた。手袋越し、熱が触れ合う。指先を動かし、トントン、と叩いた。
「イギリス、僕のお母さんは嫌なんだ?」
「……産んでねぇだろ。それに、お前、俺に」
 好きって、とそれ以上は告げられないイギリスの声は、期待と不安でぐしゃぐしゃに歪んでしまっていた。思わず手を伸ばしてイギリスの体を抱き寄せながら、カナダはうん、と頷く。
「好きだよ。大好きだよ、イギリス。だから不機嫌な顔してないで、笑って?」
「別に、不機嫌なんかじゃ」
「うん。……うん、あのね、でもね、イギリス。僕は君がママでも同じように好きでいたよ」
 恋をしたかまでは分からないけれど、とはにかんで笑って。カナダは複雑な感情に歪むイギリスに、そっと顔を寄せた。こつん、と額が重なる。そうすれば間近で穏やかに、視線も深く重ねられた。イギリスは、カナダが望めば視線を外さない。そのことが嬉しくて、カナダはふふ、と肩を震わせて笑う。
「好き」
「……うん」
「好き、好き。イギリスが、好きだよ。どんなイギリスだって、大好きだよ……」
 なにが好き、とか。どこか好き、とか。口に出して言ってしまえるような形の想いでは、まだなくて。ただ愛しくて、ひたすらに温かく、カナダはイギリスに恋をしていた。うっとりと目を細めて幸福そうに想いを歌いあげるカナダに、イギリスはすこしばかり呆れたように、それでいて愛おしく目を細めてみせた。すり、と重ねていた額の、肌がこすれる。
「口が上手く育ったな。……やっぱり、フランスの影響か?」
 しみじみ呟くイギリスの言葉に、その時、どんな感情を覚えたかまでは覚えていない。しかしイギリスが不機嫌になったように、カナダもなにか面白くない気持ちを感じたと、記憶に残っていて。気がついた時には、驚きに見開くイギリスの瞳が、すぐ近くにあった。あれ、と思いながらすこし顔を離して、す、と息を吸い込んで、はじめてカナダは己の唇に指を当てる。指先とは違う柔らかな皮膚の感触と熱が、まだ残っていた。
「……イギリス、柔らかい」
「そうか……俺は今心底、お前の教育をどこで間違えたか考えてる所だよ」
 深く息を吐いたイギリスはカナダと同じように唇に一瞬だけ指先を押し当て、それから立ち上がった。俺もそろそろ帰る、と言われて慌てて立ち上がり、カナダはまた来てね、と告げる。視線はいつの間にか見上げるものではなくなっていたけれど、迎えて微笑む表情は、あの頃と全く変わらないものだった。イギリスは柔らかく笑ってまたな、と笑み、それから手を伸ばしてカナダの額を小突く。
「黙らせるのに触れるだけとは、まだまだこどもだ」
「イ、イギリス?」
「次来た時は、もっと大人のやり方を教えてやるよ。覚悟しとけ」
 じゃあな、と言い残して手を振るイギリスの、白い手袋の残像が目に焼きつく。ゆっくり去っていく背を見つめて、はじめてなにをしたのか、なにを言われたのか気がついたカナダは、楽しそうに近づいてきた妖精からも顔を背けてしゃがみこむ。愛おしさで、息も苦しかった。事故のような口付けを、それでも拒まないでいてくれた。二度目も許すと、許可をくれた。きっとイギリスの想いは恋ではなく、深く、穏やかな愛情であるのに。
 恋を、させてくれている。それでいてきっと、恋をしようと、恋ができるものなのかと、イギリスは自身に問いかけながら想いと向き合ってくれているのだった。期待と不安に揺れた表情が、その証。ぎゅぅ、と手を握り、カナダは好き、と言葉に出して呟いた。幸福感が胸に満ちて、全てを塗りつぶして行く。だからカナダは、見逃してしまった。イギリスの隠しきれなかった動揺を。独立。そのことが、イギリスに刻んだ傷の深さを。
 見逃して、時を重ねてしまった。

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