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 3 愛歌う口付け

 喧騒をつんざく甲高いこどもの泣き声に、思わず足を止めたのはアルフレッドだけではなかった。だが、アルフレッドほど、その声に動揺した者は居なかっただろう。聞き覚えのありすぎる嘆きは、周囲のざわめきが広がるのに比例するかのごとく、高く激しくなっていく。大慌てで喧騒をかきわけ声の元へと進んでいけば、クレーターのように人が引く輪の中心、長身の青年がものすごく見事な上段蹴りを決めていた。
 それも、中段からの上段蹴りだ。相手に対する思いやりや慈悲が一切感じられない、極めて鋭い一撃である。芸術的にすら見える動きに、まるで無関係の者たちからは口笛が飛んだ。正確に相手の顔面をけり飛ばした足がトン、と大地に戻ると同時に、意識を失った体が大地に叩きつけられる。鈍い音と振動に、こどもの泣き声がいっそう激しくなった。
「おにいちゃああああっ! それ、それ以上はもうダメですよーっ!」
 薄い青のベレー帽とセーラー服姿が可愛らしい少年が訴えていたのは、倒れた男ではなく、それをけり飛ばした青年の方だった。思わず、本当に思わず頭を抱えてしゃがみこんだアルフレッドに気がつかず、青年はちょっと眉を寄せて少年を見下ろした。アルフレッドと良く似た顔立ちが、ほんのすこし透明度の高い声で告げる。
「でも、あと二人居るよ」
 居るからなんなのか、とアルフレッドも泣きながら絶叫したい気分だ。ダメですうううっ、と青年の腕にひしっと抱きつくことで動きを抑えながら、少年はこういう時こそ深呼吸なのですよっ、と必死に説得している。
「また病院送りになっちゃうですよ! そしたらまたアーサーにバレちゃうですよ! 上司にも怒られちゃうですよ! おにいちゃ、こないだ『もうしません』って誓約書書いたばっかりですよーっ!」
「うーん。バレなければいいんじゃないかなぁ」
「ちーっともよくねぇですよおおおおっ!」
 のんびりした口調でほわほわ笑いながら言う青年に、少年はこの世の終わりを垣間見た表情で泣き叫ぶ。うん、君の気持は十分分かるぞピーター、というか君ら本当なにしてるんだい、と思いながらアルフレッドは立ちあがる。精神的な頭痛は収まる気配を見せてくれないが、それはもうこの際だった。我慢することにして一歩を踏み出せば、近づいてくる気配に、青年は敏感に反応した。鋭く、視線が向けられる。
 薄い緑と紫が入り混じる、なんとも美しい瞳だった。普段は柔らかくも温かな印象をふりまいている瞳が、今は天空に咲くオーロラよりも冷たく見える。ぱち、と瞬きをして、青年はアルフレッドの姿を認め、首を傾げた。双子のように似た顔が、なぜ今ここにあるのか、不思議がっている表情だった。アルフレッドはどこまで状況把握が出来ていないのかと問い詰めたくなりながら、やや大げさな身振りで溜息をつく。
 アメリカ合衆国、ニューヨークはマンハッタン。アルフレッドの『庭』の一つに、どうして彼がいないと思えるのか。そっくり同じ顔に男くささを加えればアルフレッドに、中性的な美しさをそなえれば青年になるだろう。君ねえ、としぶい顔つきになりながら、アルフレッドは倒れた国民を見つめつつ、たしなめる口調で青年の名を呼んだ。
「なにしてるんだい、マシュー? こんな所で、こんな騒ぎ起こして」
「ああアルフレッドのヤロー良い所に来たですよっ! マシューにいちゃを止めるのですよー!」
 マシューの腕から離れてアルフレッドに飛びついたピーターは、その体をがっくんがっくん揺さぶりながら絶叫した。僕じゃ落ち着いてくれないのですよーっ、と泣きじゃくるのを頭を撫でて慰め、アルフレッドはひきつった表情でマシューを見る。マシューはにこにこ、微笑ましそうな表情で、英連邦の末っ子と兄弟のスキンシップを見つめていた。にこ、と笑うと軽く手も振られた。うん、と頷いてアルフレッドは言う。
「十分落ち着いてるように見えるけど」
「今のにいちゃはクヌートの皮かぶったマシンガンなのですよー!」
 ロックオンが終わってるから動かないだけなのですよぉーっ、と恐怖に駆られた叫びをほとばしらせるピーターに、マシューは微笑むだけで反論をしなかった。やんわり細められた視線は二人を通り過ぎ、倒れ伏す男と、そのすぐ傍で腰を抜かして動けないでいる二人に向けられている。なるほど、と思わずアルフレッドは納得してしまって、急激に血の気を引かせた。ちょっと待て、それはまずい。国民の危機だ。
「ま、マシュー! 落ち着けよ兄弟っ! とりあえず聞かせてくれ、なにがあったんだい?」
「うーん。誘拐未遂かなぁ」
「よしピーター。教えてくれ、なにがあったんだ?」
 ゆったりほんわり答えるマシューに数秒で見切りをつけ、アルフレッドは真剣な顔でピーターに尋ねなおした。身内可愛らしさに目が眩みまくっているマシューの返答など、そもそも期待すべきものではなかったのである。ピーターは重大な任務を命ぜられたかのごとく厳しい顔つきで頷き、あのですね、と口を開いた。
「道を歩いてたらぶつかってしまったのです。僕はすぐにちゃんと謝ったのですが、食べてた飴があの人の服にくっついてしまって、すごく怒られたのです。すごく謝ったのですが、これからデートとかで、親を呼べとか言われたのです。ふ、服を掴まれてしまって、怖かったのです」
 その時の恐怖を思い出したのだろう。じわー、と涙の浮かぶ海色の瞳は、けれどすぐに瞬きをして、泣くのをぐっと我慢した。えらいぞ、と頭を撫でてやりながら促すアルフレッドに、まあそんな所なのですよ、とピーターは遠い目になる。
「ちょうどその辺りで、ぶつかった時に手が離れてしまって、僕を探してたにいちゃが発見してしまったのですよ……」
「そ、それで容赦ナシの上段蹴りとか……。君のお兄さんはどれだけ過激なんだい……?」
「そのまま踏みにじってないので、今日はまだ大人しいのですよー」
 灰色の声でぼそぼそ告げるピーターは、若干目が死んでいた。どうも、わりといつものことらしい。そういえばさっきも『また』だの、『こないだ』だの、『誓約書』だの叫んでたなぁ、と思いながらピーターを慰めて。アルフレッドはさて、と呟きながら国民に歩み寄ろうとしていたマシューの腕を、しっかりと掴む。すみれの花にも似た上品な色合いの瞳が、どうしたの、と優しく笑った。マシュー、とアルフレッドは息を吐く。
「ダメなんだぞ。事情は分かったけど、分かったから、それ以上はダメだ」
「だって、ピーターを泣かせたんだよ?」
「どう考えても泣かせた理由の八割以上は君だからっ!」
 不服そうに唇を尖らせて言うマシューに、アルフレッドが半泣きの突っ込みを入れる。そうなのかなぁ、と首を傾げられるのに、ピーターは首がもげそうな勢いで何度も頷いた。この時を逃せばもう後はない、とでも言うような、悲壮な仕草だった。それでもしばらく考えていたマシューは、ややあって納得したらしい。アルフとピーターがそう言うのなら、とほんわり微笑み、末っ子の頭に手を乗せて慣れた仕草で撫でてやる。
 ようやく涙を止めたピーターが、撫でる手に猫のように頭を押し付けて笑みをこぼす。それを見てくすくすと上機嫌に肩を震わせるマシューは、すこし前までの行いを知らなければ、とても綺麗で穏やかな青年に見えた。もっとも、普段はその通りの性格であるのだが。自然に浮かぶ苦笑いを持て余しながら、さてどうしたものか、とアルフレッドが考えた時だった。バン、と車の扉が閉められる音が響き、場が緊張する。
 反射的に振り返って目が捕えたのは、市民の安全を守る制服姿の警官たち。おおあああっ、と言葉になっていない叫びをピーターがあげ、マシューの顔色も悪くなる。それだけで、アルフレッドの動きは決まった。さっと身をひるがえしてピーターを抱き上げると、そのままマシューに押しつけて先に走り出す。自分が抱かなかったのは、移動中のピーターの安心を確保する自信がなかったからと、兄弟の慣れだ。
 ほぼ常にクマ次郎さんを抱き上げて生活しているマシューは、アルフレッドよりそうした移動が格段に上手い。意図を悟ったマシューは一言も口を利かず、走り出すアルフレッドの背を追った。すぐに横に並んだのを確認して、二人は目を交わし合って悪戯に笑う。後からついてくる制止の声も足音も、心の弾みを止められなかった。状況把握をしきれていないピーターは、マシューの腕の中できょとんとしている。
 タン、と十分に体重が乗っているのに軽やかな、ダンスの足音がこだました。人にぶつからずよけながら、二人は視線を交わしあうだけで街中を走りぬけて行く。カーチェイスよりスリリングな逃避行。スピードに乗って楽しげな二人は、なにか映画の撮影にも見えた。三つ目の角を曲がった所でようやく警察から逃げていることに気がついたピーターが、ほわあああっ、とアーサーゆずりの気の抜ける叫びを響かせる。
「にいちゃー! マシューにいちゃもアルフ兄ちゃんもなにしてるですかーっ!」
「ヘイ! ヒーローは時として警察に追いかけられたり、逃げたりするものさっ! なあ兄弟!」
「そうだね兄弟! スピードあげる? ピーター、しっかりつかまってるんだよ」
 ピーターを腕に腰かけさせながら駆け抜けるマシューの瞳は楽しげにきらめいていて、息の乱れさえ見られなかった。ほへー、と間近で口を開きながら見つめ、ピーターはにいちゃって、としみじみと呟く。
「運動できたのですね。素早い動きが苦手だとばっかり思ってました」
「あはははは! あはは、はははっ! マシュー、マシューっ、言われてるぞっ!」
「うっるさいな指さして笑うなよアルフっ! あとね、ピーター。あのね一応僕だってちゃんと動けるんであってね?」
 並走して走りながら指をさして爆笑する、という器用な離れ業をさらりと披露しながら、アルフレッドは街をかけて行く。目的地もなく、どこへ向かうとも言わず。その姿に並び、時には追いかけ、先導しながらマシューも走る。いつかも思い出せないくらい昔、二人はこうして駆けあいながら遊んでいた。その時とは街並みも人の多さも、目線の高さもなにもかもが違うのだけど。弾む足音と呼吸、交わし合う視線は同じで。
 戯れに手を掴んで引っ張れば、マシューはピーターを落としてしまうそぶりも見せず、大笑いしながらダンスステップでターンした。ひゅぅ、と口笛を吹いてからかえば、マシューの目がきらっと光って逆に引っ張り返される。負けずにアルフレッドも見事にターンを決めて、二人で目を合わせて爆笑した。ダンスは二人とも、アーサーに叩きこまれた。二人きりで過ごした長い夜に、寂しさを紛らわすために手を取り合った。
 あの寂しさも悲しさも、今はどこにも見当たらない。そのことが嬉しくて楽しくて、面白くて仕方がなかった。走りながらじゃれ合って仕方がない兄役二人をうんざりした表情で眺め、ピーターは溜息をつく。いつの間にか追いかけてくる足音も怒号もなくなっていたから、こうなるともう本当に遊んでいるのと変わらない。いつまでもじゃれあいそうなのを食い止めるべく、ピーターは手を伸ばしてマシューの髪を引っ張った。
「マシュー兄ちゃん。ピーターお腹が空いたのですよー」
「え? あ、そっか。アルフレッド、ピーターがお腹空いたって。なんか食べようよ」
「ピーター、シナモンロール食べるかい?」
 ちょうど目の前に、セイレーンがロゴマークになっているチェーンのコーヒーショップがあった。通りから見えるショーケースにはふわふわな生地にとろりとアイシングがかかったシナモンロールが並んでいて、甘いもの好きな三人を引きつける。満場一致でコーヒーショップに入店し、レジに並んだ所でマシューはピーターを床に下ろした。久しぶりの床なのですよー、とはしゃぐピーターに、マシューは肩を回しながら笑う。
「ほら、ちゃんと前見て並ばなきゃ。また人にぶつかって怒られたら大変だろう?」
「……マシューにいちゃを守れるのは僕だけなのですよっ!」
 ひし、とアルフレッドの足にしがみつきながら悲壮な決意で頷くピーターに、マシューはほえほえとのんきな表情を向けていた。それを言うなら『マシューの危険から国民を守れるのはピーターだけだ』の方が正確なのだが、アルフレッドはあえてなにも言わなかった。ぽんぽんとピーターの頭を撫でて足にへばりつかせながら歩を進め、シナモンロールを二つとロールケーキ、ホットコーヒーをグランデで注文する。
 マシューはモカフラペチーノのトールサイズにホイップクリームとキャラメルソースを追加して、シナモンロールとチュロスを皿に乗せてもらっていた。ピーターはいっしょうけんめいメニューを覗きこんで考え、トールサイズのココアにシナモンロールを頼んでいた。チュロスも食べたがったが余らせてしまいそうなので、マシューからすこしもらうことで妥協している。三人は細長い店内の奥を選んで、椅子に腰かけた。
 いただきますですよ、と両手を合わせて日本式のおじぎをしたピーターは、ぱく、と大きく口を開けてシナモンロールにかぶりついた。ふわぁっ、と甘くとけながら嬉しそうに上がった喜びの声に、店員や他の客たちからは微笑ましい視線が注がれる。マシューとアルフレッドはそれぞれ簡単に十字を切ってから、しばし無言の幸福タイムに突入した。アルフレッドは、あっと言う間に二つ目のシナモンロールに手を伸ばす。
 マシューはフラペチーノにホイップクリームをすこし混ぜ、スプーンですくって口に運びつつもピーターの様子はきちんと見ているようで、ぽろぽろとパン屑をこぼすのを注意していた。ロールケーキが残り半分になった所でコーヒーで口をうるおし、アルフレッドはそういえば、と当たり前すぎて無視していた疑問を、ここでようやく口にした。
「マシュー、君、イギリスに行くって言ってなかったかい? ここ、ニューヨークだよ」
「僕も、君に会う十五分前まではイギリスの空港に居た筈なんだけどね……時計合わせなきゃ、忘れてた」
 はぁ、と溜息をついて腕時計をいじる手元を覗きこめば、文字盤には確かにイギリスとの時差があった。いつものカナディアンタイムで飛行機に乗ったのを忘れただけじゃないのか、とアルフレッドは思うのだが、それにしてはピーターがなぜか誇らしげに笑っている。君、なにしたの、と問いかけてやれば、ピーターはごそごそと胸に手を突っ込んで細いチェーンを引っ張り出し、満面の笑みで手のひらに乗せた。
「じゃじゃーん。ピーターの魔法の杖なのですよー!」
「……どう見てもアーサーのアレのミニチュアにしか見えないんだけど、どういうことだい? マシュー」
「詳しくは僕も知らないよ?」
 アクセサリーチャームとするには奇妙にまがまがしく、かつ子供のおもちゃのような『魔法の杖』がそこにはあった。大きさは四センチもないだろうが、ブリタニアエンジェル化した時にアーサーが持っている杖を、そのまま縮めれば『ピーターの魔法の杖』になるだろう。脱力と諦めを漂わせて視線をそらすマシューとは対照的に、ピーターはにこにことご機嫌に話し出す。
「作ってもらったのですよー。アーサーのヤローばっかり魔法使いなのはずるいのですよー」
「作ってもら……ったってまさか。まさかそれ、made in ……?」
「kiku! made in kiku なのですよーっ!」
 アルフレッドとマシューの脳内に、見かけだけは可憐にさえ見える東洋の島国、その化身たる存在の笑顔が浮かんだ。二次元最高ーっ、と常に主張してはばからない彼ならば、日本の技術を総動員してもやりかねなかった。ああそういえばさぁ、とアルフレッドは銀河の彼方を見つめたがる視線で口を開く。
「ちょっと前に菊が、俺には理解できない次元の主張をしてたんだよね……なんだっけ、確か『ロリだのショタだの幼女だの言っている時代は過ぎたのですよアルフレッドさん! ちびっこは正義! ちびっこは萌え! 性別なんて飾りです! つまり変身魔法少女は便宜上『少女』ではありますが別に『少年』でもなんら問題はないと思うわけです。変身魔法少年萌え! 女装少年のその心意気や良し!』とかなんとか」
「いいかいピーター、菊さんはとっても素晴らしい人だけど、二人っきりで会ったらいけないよ?」
 即座に事情を察したマシューが、ごく真剣にピーターを説得する。ピーターは分かっているのか分かっていないのか判別のつかない態度ではーい、と返事だけはして、鎖から魔法の杖をむしり取った。どういう構造になっているのか、すこし力を入れて引くだけで外れたミニチュアの杖を手のひらで転がし、ピーターはす、と息を吸い込んだ。
「My name holds a sea!」
『私の名前は海を抱く!』
 その一言で、恐ろしいほど空気が張り詰めた。シーツのしわを伸ばす為に強く張る時のような音が響き、たった四センチの杖に翡翠の電流が蛇のようにからみついて走っていく。
「I am a wing of a ”beautiful green bird”! His singing voice and belief. Magic, gramary or miracle. As for me, find a shape.My dear ”beautiful green bird”! I love you!」
『私は『美しい緑の鳥』の翼! 彼の歌声と信仰。魔法と魔術、あるいは奇跡。私はそれを形にしよう。親愛なる『美しい緑の鳥』! なによりも大切なひと!』
 高く澄みきった、声変わり前の少年特有のハイトーン・ボイス。ピーターが一息にそれを言いきると同時に、ぼふん、と音を立てて杖が大きくなる。自分の身長よりすこし短いくらいの杖を器用に手で持って、ピーターは唖然とするアルフレッドにずい、と突き出した。神聖な静謐ささえたたえていた雰囲気は、当然のごとく霧散してしまっている。
「これ使ってアメリカ来たのですよー。イギリスに居ると、なにが起きてアーサーに会っちゃうかも分かりませんから」
「……え? 密入国?」
「言わないでよアルフレッド……! 僕だって、もしかしてとは思ってたけどっ」
 魔法の理解を拒絶したアルフレッドの脳は、ひたすら現実的な問題をはじき出した。額に手を押し当てながらなにかを堪えるマシューは、ごめん今日だけ見逃して、と言ってピーターの額を指先で押した。
「全く……いいかい、ピーター? こういうことは、あまりやったらいけないよ?」
「こういうこと、じゃないですよー。シーランドの奇跡なのですっ」
「良い子に『はい』ってお返事できないと、水族館には連れて行けないかもね?」
 にっこり笑顔で問いかけるマシューに、ピーターは大慌てではいですよーっ、と叫んだ。唖然となりゆきを見守っていたアメリカ国民たちも、その可愛らしい返事にふと口元を和ませる。最近のおもちゃは本当によく出来ているなぁ、で受け入れた国民のキャパシティの広さを誇るべきか悲しむべきか悩んで、アルフレッドは思考自体を放棄した。だいたい魔法や奇跡なんてものと、アルフレッドは相性が悪いのだ。
 兄弟の、マシューの二色が入り混じる瞳が、妖精の契約者の証だということは受け入れられても。それとこれとは、また別問題だ。アーサーにバレたら二人とも大目玉だ、と苦笑するアルフレッドに、ピーターはにこにこしながら携帯電話を向けた。即座にパシャリ、と機械の合成音が響き、アルフレッドが首を傾げている間に、ピーターは作業を終えてしまう。パソコンにも送っちゃったですよー、とピーターは言った。
「これでアルフレッド兄ちゃんも共犯者です。バレたら一緒にアーサーに怒られるのですよ」
「え、写真? 今のってもしかして写真かい?」
「アル、ここから近い水族館ってどこかな」
 諦めて今日は一緒に遊ぼうね、と告げてくるマシューを恨めしげに眺めて、アルフレッドはしぶしぶ了承した。そもそも用事があって街を歩いていたわけではないので付き合うのは良いのだが、ピーターのやり方はだまし討ちに近いので気持ちがすっきりしない。ぶすくれた表情で仕方ないな、というと、察したのかピーターが申し訳なさそうな表情になった。悪い子ではないのだ。それはアルフレッドも知っている。
 あんまり関心しないやり方だぞ、と言ってやると素直に頷いて、おずおずとごめんなさいですよ、と耳打ちしてきた。耳をかすめる息がくすぐったくて、アルフレッドは思わず肩をすくめて笑い、君はひきょうだなぁ、とピーターを抱きしめる。
「ちゃんと謝れる可愛い良い子なんて、許しちゃうに決まってるじゃないか!」
「わーい! 一緒に水族館なのですよー! ペンギンさんを見にいくのですよー!」
 抱きしめられたまま、ぴょいぴょい器用に飛び跳ねて喜ぶピーターに、マシューは本当に優しい目を向けていた。この存在が可愛くて可愛くてならない、というのがまなざし一つで誰にでも伝わる。自分が見られている訳でもないのに恥ずかしさに息を詰まらせて、アルフレッドは椅子から立ち上がった。そして食べ終わった食器をまとめてしまうと、二人に店を出る準備をするように言い、トレーを持って席を離れる。
 かつてアルフレッドは、ああいう風に見守られていたのだ。そのことが胸に温かく、そして切なかった。

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