アルフレッドの自宅にあるソファは、本人が寝転んでも余裕のある大きさをしている為、ピーターが飛び跳ねて遊ぶには十分すぎた。水族館のお土産として購入したペンギンのぬいぐるみを抱きしめながら、ピーターはきゃあきゃあ声をあげてはしゃぎまわっている。ぽよぽよ、ぽよぽよソファで飛んで揺れているのを、キッチンから出てきたマシューが見咎めて、歓迎しない風に眉を寄せながら甘く微笑んで沈黙した。
「叱らないのかい?」
手に二つマグを持ち、片方を差し出しながら問いかけて来たアルフレッドに、もう十分も騒ぐようなら怒るけど、とマシューはのんびりとした声で告げる。横顔にはさすがに疲れがにじんでいて、マシューはカップから立ち上るコーヒーの香気に顔をほころばせた。アルフレッドのものも、マシューのものも薄めに淹れたブラックだが、夕食後に落ち着いて飲むにはそれでちょうどよかった。一口飲んで、マシューは言う。
「大きいソファが珍しいのと、乗って騒いでも怒られないのが嬉しいんだろうから。大丈夫、ピーターは分別のある良い子だよ。……昔の僕らと違ってね」
そこはきちんと複数形で言ったマシューに、アルフレッドは苦笑しながらごく軽く頭を小突いてやった。確かに二人で一緒にはしゃぎすぎたこともあるのだが、八割から九割、怒られる原因はアルフレッドのやりすぎだったからだ。気弱で大人しかったマシューは、昔から止め役に回っていた。今ではすっかりピーターに歯止め役を譲っているようでもあるが、昔から本気で怒ると実力行使を辞さない面は持っていた。
額を重ねてくすくすと笑いあい、二人はピーターのはしゃぐソファの向かいに腰を下ろした。ピーターは兄たちが戻ってきたことで怒られると思ったのか、ソファで飛ぶのをやめ、ふわふわのスプリングを体を揺らして堪能するのに留めている。ペンギンのぬいぐるみをぎゅぅ、と抱きしめるピータの姿に、マシューは多少落ち着きのない気分を覚えてしまい、うずうずした感覚をごまかす為にコーヒーをゆっくり喉に通して行く。
日中はピーターを抱き上げることが多かったので忘れていたが、マシューの傍にはクマ次郎さんがいないのだ。決して抱きしめていなければ落ち着くこともできない、依存症めいたものではないのだが、それでも抱きしめるものを探して腕が動きかけてしまう。アルフレッドはすっかり見抜いているようで大きめのクッションを放り投げてやろうとしたのだが、それよりも早く、気がついたピータがにこにこと腕をあげた。
「にいちゃ、にいちゃ、抱っこなのですよー」
甘えに可愛らしくとけた声でねだられて、その意図を正確に理解していようとも、マシューに断れる術などなかった。コーヒーの残りを一息に飲み干して立ち上がり、マシューはピーターの隣に腰を下ろすと、恥ずかしげに苦笑して腕を広げる。おいで、と囁けばピーターは慣れた仕草でマシューの膝の上に乗っかり、首に腕をまわしてぴったりと体を寄せた。ペンギンのぬいぐるみは、元居た場所に置き去りである。
溜息をつきながらピーターを強めに抱きしめてからゆるく力を抜き、マシューは恥ずかしいなぁ、とぼやいた。ピーターはただ上機嫌に笑ってマシューと頬をくっつけているだけで、それについてはなにも言おうとしない。香りの良いコーヒーを舌の上で転がしながら飲み込んで、アルフレッドは本当に仲が良いな、と二人の姿を見つめていた。水族館でも結局、はぐれないようにと二人はずっと手を繋いでいたのだ。
手が離されたのはトイレや買い物の会計くらいで、あとはずっとその手は重ねられていた。離れることを怖がるように繋いでいたのは、本当はどちらの方なのだろうか。向けられる視線を不思議がったピーターが振り向くのと、少年の下げるポシェットの中身が振動したのは同じだった。可愛らしいムーミンの顔の形をしたポシェットの中で、イギリス国家が響いている。わわ、とピーターがあわてた声を出した。
「アーサーですよ! そういえば泊まるとかそういう連絡するの忘れてたですよ!」
「ゆ、夕食前に電話かメールするねって約束したじゃないか。どうしてしなかったの?」
大慌てで携帯電話を取り出すピーターに、マシューがやや保護者失格の言葉をかけるが、これはもう仕方がないことだろう。今回のように出かけている最中に報告メールを送れば、折り返し電話が来る可能性もあるのだから。アーサーからの電話に、マシューは出ることが出来ない。契約に則り、認識した瞬間にアーサーの意識が失われるからだ。最も、電話が苦手だと言い含めてあるので、可能性は低いのだが。
出たら怒られるのは、ほぼ確実である。あううう、と涙目で画面を見つめながらためらうピーターは、マシューの問いかけにごめんなさいですよー、と謝った。
「電話しようと思って、その前にトイレ行こうと思って、帰ってきたら忘れちゃったですよ……」
「……うん。ごめんね、僕がちゃんと電話する所を見てれば良かったんだよね」
ピーターの頭を撫でたマシューは鳴り続ける電話をそっと取り上げ、ものすごく申し訳なさそうにしながらも、有無を言わせぬ態度でアルフレッドに向かって差し出した。出てくれるよね、とその顔には書かれている。拒否権なんて素敵なものはカナダにないよ、と北の大国の声で脳内再生されてしまったが故のしぶい顔つきになりながら、アルフレッドは電話を受け取ってボタンを押し、イギリス国家を響かなくさせた。
「ハイ、アーサー! 連絡が遅くなって悪かったんだぞ!」
『……あれ、もしかしてアルフレッドさんですか? すみません、番号を間違えてしまったようで』
「菊かい? いや、間違ってはいないよ。これはピーターの携帯だからね」
怒鳴られる前にすぐ謝ってしまえ、と謝罪の言葉を口にしたアルフレッドの耳を、穏やかな言葉が撫でて行く。すぐに菊だと気がついて戸惑いながらもそう返すと、電話の向こうの気配がほっと和んだものになる。申し訳ありません、とクセのように囁く声に吐息で微笑を返して、アルフレッドは緊張した面持ちで見守るピーターとマシューにウインクをした。菊だよ、と告げると、ピーターの顔がぱぁっと輝く。
ちょっと待ってね、と視線で告げてから、アルフレッドはどうしたのさ、と問いかけた。
「もしかしてアーサーの所に遊びに行ってたのかい?」
言いながら時計に目を向けると、午後七時を過ぎていた。イギリスとの時差はプラス五時間。今は真夜中の十二時である筈だった。連絡一つなく、ピーターが出歩いていて良い時間ではない。ざぁ、と本日二回目の血の気の引く思いを察したのか、電話口で菊はくすくすと笑う。茶会の後、そのまま泊まらせて頂きました、と菊はごく簡単に事情を説明し、御安心くださいね、と三人の不安を吹き飛ばした。
『アーサーさんは四時間ほど前、酔ってそのままお眠りになられました。電話したのは一応確認しておこうかな、と思いまして。今はアルフレッドさんのご自宅ですよね? マシューさんもご一緒で?』
「あ、ああ。そうだけど。誰かそっちに連絡したのかい……?」
そもそもピーターとマシューは、今回違法に海を渡って入国している。マシューの時計が時差そのままだったので、事前に行き先を聞いていたとも思えなかった。とするとマシューかピーターが連絡するくらいしか現在位置、しかもアルフレッドの自宅までもが分かるはずもないのだが、菊はあっさりと否定して見せる。連絡は頂いた覚えがありませんが、と。
『まあ、いわゆる一つのGPS機能ですね。杖の』
「杖!? 携帯のじゃなくてかいっ!?」
『ふふふ。御安心を。緊急時でしたので作動させましたが、常時動いているものではありません』
当たり前だ。いつも動いていたら立派なストーカー行為である。菊、とぐったりしながら名を呼ぶと、控えめな笑みの含まれる声ですみません、と謝られた。謝るだけでさして反省はしていなさそうだが、説得は不可能に近いだろう。今回の非は、アルフレッドにもあるのだ。覚えておいて今後に生かすしかなさそうだった。溜息をつきながら携帯をピーターに返せば、僕ですよーっ、とはしゃいだ声で電話口に出る。
きゃっきゃと嬉しそうに話をしているので、ピーターはよほど菊に懐いているらしい。微笑ましいけど不安だなぁ、どうも菊の萌え対象っぽいし、とピーターを見つめながら、アルフレッドはあることを思い出して諦めた。菊の萌え範囲は広い。というか、範囲はあってなきが如しである。一度ものすごく綺麗な微笑みでアルフレッドさんでも萌えられますが説明しましょうか、と首を傾げられたことがあるのを思い出してしまう。
聞けばイヴァンですら余裕らしいので、そこに己以外の存在があれば、菊は萌えられるのだった。さすが二次元スペシャリスト、としみじみ関心しながら、アルフレッドは机の隅に放りだしておいた携帯電話を手に取った。夕食後に置きっぱなしにしたまま、後片付けの間は放置しておいたのを思い出したからだ。新着メールはあったものの仕事がらみのものではなく、アルフレッドはひとまず胸を撫で下ろす。
二人を見ていたマシューも、自分も携帯をチェックしていなかったのを思い出したのだろう。どこに置いたんだっけ、としばらく部屋の中を彷徨い、脱いだジャケットのポケットから無事に救出すると、ピーターの隣に戻ってきて画面を開く。ぱちぱち、と二度、マシューはまばたきをした。それから、なぜか画面とピーターを見比べ、カチ、とボタンを押す。次の瞬間、マシューは大きく息を吸い込んで、大きく目を見開いた。
カチ、ともう一度だけボタンの音が響き、それを最後にマシューは携帯電話を取り落とした。手から力が抜け落ちていくさまを、アルフレッドは正面から見ていた。鈍い音を立てて床に落ちた携帯は、幸いなことに傷がついた程度ですみそうだ。大慌てで拾い上げたそれをざっと見聞して頷くと、アルフレッドはそれをテーブルの上に置いてしまう。びっくりした様子で凍りつくピーターに、言葉をかける余裕はなかった。
「マシュー! マシュー、どうしたんだいっ?」
携帯を取り落とした直後にマシューは手で顔を覆ってしまっていて、声もなく、アルフレッドにはどんな表情をしているかが分からない。マシュー、と呼びかける声に反応はなく、焦れるアルフレッドの腕をピーターが引いた。反射的に振り払いかけてしまったのをするりと避けて、ピーターは無言で通話中の携帯電話をアルフレッドの耳に押し当てる。アルフレッドさん、と名を呼んだのは、やはり菊だった。
『申し訳ありません。マシューさんが見たのは、私からのメールだと思います』
「菊っ! 君、どんなメール送ったんだいっ!」
場合によっては君だって許しはしないぞっ、と怒鳴るアルフレッドの腕に、マシューの手がそえられる。言葉もなく、そっと触れるだけの動き。けれどそれだけで、アルフレッドは全身から力を抜き、怒りを霧散させた。マシューはまだ俯いたままで、表情は見えない。構わずに片手で胸に顔を抱き寄せれば、マシューは素直にもたれかかった。肩がすこし震えていた。泣いてる、と呟くと、否定したがって首が振られた。
どうすればいいか分からないでいると、菊の静かな声が耳を打った。
『悪いことは、なにも。……あとで、メールを見せてもらってください。電話は切ります』
起きていますので後でかけて下さっても結構です、と言い放ち、菊は通話を終わらせてしまった。それより優先すべきことがあるでしょうから、とそっと告げられた通りに、アルフレッドは電話をピーターに返し、マシューの髪を梳く。どうしたって言うんだい、と尋ねるアルフレッドに、マシューは無言で自分の携帯電話を指さした。見て良い、ということらしい。許可が出たので遠慮なく、開きっぱなしの画面に目を落とす。
そこに書かれていたのは、アーサーのことだった。菊らしい優しいトーンで語られるのは、アーサーがクッキーを食べて、それをマシュー作だと言ったことだけ。アルフレッドは、実際のところ、アーサーの状態をよく知らない。持っている情報はあくまでフランシスの口から語られた、制限を受けた客観的な事実のみだからだ。詳しく聞けることではなかったし、聞いて良いことだとも思えなかった。特に、『アメリカ』には。
だからこそマシューの受けた衝撃を分かってやることができず、アルフレッドは無言で兄弟を抱きしめる腕に力を込めた。ごめん、の気持ちを精一杯込めて。泣いてるの、ともう一度、今度は問いかけにして呟けば、マシューの首が横に振られる。そう、とだけしか言うことの出来ないアルフレッドをじっと見つめて、ピーターが動く。一度ソファから下りて迂回して回り、ピーターはマシューの背中にぴったり体をくっつけた。
自分の体温を分け与え、ここに居るよと囁くように。
「……にいちゃ」
すりすり、とマシューの背中に頬をすりよせて、ピーターは嬉しいのですよね、と言った。無言で頷いたマシューは、そこでようやく顔をあげる。歯を食いしばって泣く直前の表情で見上げられて、アルフレッドは思わず動いていた。そぅっと宥めるように額にキスを落とし、ばかだなぁ、と苦笑する。息が苦しい程の喜びに満ちた瞳が、どこか意識もおぼろげにアルフレッドを見つめた。瞬きすれば、涙がこぼれそうだった。
ちゅ、と音を立てて目尻に口付けて、アルフレッドは晴れやかに笑う。
「嬉しい時は、素直に喜ぶものだよ。マシュー? 我慢するもんじゃない」
「だって、アルフ……! もし、もしまたアーサーが……君を」
「うん。マシューの言いたいことは分かるぞ。分かるけど、でも聞かないんだぞ。だって俺はヒーローだからね!」
ぱちん、と綺麗にきめたウインクに、まあるく見開かれた瞳が不思議そうに向けられる。額をくっつけて間近で目を覗きこみながら、俺はヒーローなんだよ、とアルフレッドは優しく告げた。
「ヒーローは苦難に立ち向かっていく者だ。どんなに辛いことが起きても、諦めずに……だから大丈夫。大丈夫だよ、マシュー。ごめんね、俺の覚悟が遅れたばっかりに、君には辛い思いをさせてしまった」
あの時にこの気持ちがあれば、君に決してあんな決断をさせなかった。知らないで過ごした、犠牲の上に成り立っていた甘くも優しい時間たち。それを今、マシューへと返そう。ごめんね、もう大丈夫、と。笑って、アルフレッドはマシューの額にキスをした。
「もしも明日、目が覚めたアーサーがまた俺のことを『アメリカ合衆国』だと思って、『昔のアルフレッド』と違うと思っていても、平気だ。説得でも話し合いでもなんでもするし、時間はいくらでもある。アーサーは未だに、独立記念日が近くなると体調を崩すけど……でも、祝いに来てくれるようにはなったじゃないか。大丈夫なんだよ、マシュー。変わらないものなんてないさ。それに俺は、不可能だって可能にしてみせる」
「でも! 君が良くてもアーサーは!」
「うん、そうだね。アーサーがそんな状態になるのも嫌だって、そういうことだろう?」
笑顔で尋ねたアルフレッドに、マシューはこくりと頷いた。分かっているなら、と言われる前にアルフレッドは笑顔のまま、マシューの頭をぺちんとはたく。めいぷるっ、と反射的に声をあげたマシューは頭を両手で押さえながら、すっかり混乱した様子でアルフレッドをうかがった。アルフレッドは半ば本気でぽこぽこ怒りながら、あのねえ、とマシューに指を突き付けつ。ピーターは背にくっついたまま、知らんぷりをした。
「マシュー、わがままなんだぞっ!」
「わ、わがままって……そんなことないよっ!」
「あるよ! 俺が正しく認識されないのが嫌、アーサーがそんな状態になってるのが嫌っ! 嫌々ばっかりじゃないか! それにねマシュー、君は分かってない」
言葉の強さとはうらはらに、優しく両手で頬を包んで。分かってない、とアルフレッドは言った。
「君が妖精と契約して俺の認識を正しく繋げて……その結果、アーサーが君を忘れた、だって? それを聞いた時、俺がどんな思いだったか! 俺は君にそうしてくれなんて言ったかい? アーサーが君に頼んだのかい? マシュー」
「アルフ、レッド」
「……アーサーにも怒られる覚悟を決めておくべきだよ、君は。なんてことをしてくれたんだよ……馬鹿だ。君は本当に馬鹿なんだぞ、マシュー。それになんにも分かってない……んだ、ぞ」
くしゃくしゃに歪んだブルー・スカイを、マシューは信じられない気持ちで見上げていた。頬を濡らす水滴がまさか、堪え切れずに零れたアルフレッドの悲しみだなんて。ひゅ、と吸い込んだ息が、喉で嫌な音を立てる。
「君は、俺から……俺とアーサーの、大事な、なにより大切な、なにも代えられなかった……そんなことなんて、考えたこともなかった、『マシュー』を、『カナダ』を奪ったんだ……!」
「……あ」
「だから、だからさ……もういい。もういいんだよ。いいから、返してくれよ……」
俺とアーサーに、兄弟と恋人を。返すことを許してほしい、と告げられて、マシューの瞳に涙がにじむ。
「僕は……そんなつもりじゃ」
「分かってる。君がそういうつもりでやったんじゃないなんてこと、君以上に俺は分かってるさ。だから怒ってない」
ぽんぽん、とマシューの背を撫でて体を離し、アルフレッドは目に浮かんだ涙を指先で拭った。
「ね、喜ぼうよ。おめでとうって言わせてくれ、マシュー。嬉しいのを……我慢なんて、しないでおくれよ」
「おめでとうございますなのですよ、マシュー兄ちゃん」
「アルフレッド……ピーター」
ごめん、と一度目の呟きは甘んじて受けて、二度目の囁きを咎める代わり、アルフレッドはマシューを強く抱きしめた。涙交じりの三度目を、ピーターは背中に全体重をかけることで許してやる。四度目はなかった。零れて行く涙で服が濡れても、アルフレッドはマシューを離さなかった。激しく泣きじゃくることこそしないものの、零れる涙はいつまでも止まらずにマシューを困らせ、アルフレッドを笑顔にさせる。
ようやく涙が底をつきた頃、気がつくとピーターはマシューの背に張り付いたまま寝息を立てていた。起こさないようにそーっと身を起こし、そーっと剥がして抱き上げたマシューは、アルフレッドの案内に続いて客間のベットにピーターを寝かせる。冷えたシーツにピーターは身じろぎをしたものの起きず、代わりにマシューの服を掴んで離さなかった。仕方がないか、と笑って、マシューは添い寝の姿勢で横になる。
なんとなくアルフレッドも同じように添い寝すると、二人の青年に挟まれたピーターの体はやけに小さく見えた。おやすみ可愛い末っ子さん、とささやきながら、マシューはピーターの頬や額にキスを落とす。夢の中でも、感触がくすぐったかったのだろう。幸せそうに笑ったピーターは、すぅ、と息を吸って、そのまま深い眠りへと落ちて行った。愛しげな眼差しで見守って、マシューは微笑みながらピーターの髪を撫でる。
そして時折、我慢できないという風にマシューはピーターの髪や額に口付けて、どこか泣きそうな顔で目を細めた。同じようにピーターを愛でながら、アルフレッドはマシューと視線を交わし合い、無言で思いを分かち合う。この愛しい子を見守る果てしない想いを、今の二人と同じように、アーサーは注いでいてくれたに違いないから。その想いを返すことはできないけれど、同じように、ひとを慈しむことが出来る。
大切なものは皆、まだこの胸の中に残っていた。くす、と笑いあって、二人はそっと目を閉じた。満ち足りた気持ちはすぐに眠気を運んできて、二人の息が深くなる。それを確認してしばらくして、ピーターはぱち、と目を開けた。恐らく赤くなっているであろう頬を、両手をそれぞれ握られているから隠すこともできず、ピーターはもぉ、と溜息をつく。
「にいちゃも。アルフ兄ちゃんも……くすぐったいのですよ。恥ずかしいのですよ。起きちゃったのですよ」
どうしてくれるですか、と文句を言いながら、右を見て、左を見て。ピーターはしょがない大人たちですねー、と恥ずかしさをまぎらわず呟きを発しながら、もう一度目を閉じた。幸福な眠りは、すぐに訪れた。
***
『件名:ありがとうございました。
おはようございます、菊さん。そちらは晴れているでしょうか。アメリカの空は、今日も綺麗な色をしています。
昨夜は失礼しました。びっくりしちゃって。でも、もう大丈夫です。アルフレッドと、ピーターが居てくれたからですね。感謝しないと。あ、もちろん、菊さんにも本当に感謝しています。……言葉が、見つからないくらい。
今日、ピーターを送って、また空港まで行く予定です。もしもお会いできたら、すこし時間をくれますか? たくさん、話したいことができてしまって……きっと、夜は明けますね。
だって今日も、こんなに晴れているんですから。
マシュー・ウィリアムズ』